伝統
2020.03.10
沖縄の神社「琉球八社」の歴史・芸能巡り!安里八幡宮編
安里八幡宮(あさとはちまんぐう)は、1466年に尚徳王が鬼界が島遠征の際に武運を祈願した地に、お宮を建立したことが始まり。武運を祈願するお宮として人々の信仰を集めてきました。琉球八社の中で唯一創建年がはっきりしており、八幡神を祀っていることが特徴です。
創建当初から同じ場所にありますが、戦後は米軍の敷地となり、1963年敷地内に仮殿復興、1972年敷地回復、1993年本殿復元となっています。
一見すると社務所もない小さな神社ですが、その歴史は古く今でも地域の方々から大切に守られています。
ここでは、先の大戦と琉球舞踊に関連するお話をご案内します。
戦場に残された一つの奇跡
安里八幡宮の境内には静かに歴史を物語る一つの奇跡が存在します。
階段左側にある手水鉢にご注目ください。両脇にある歌碑と記念碑と比べると、「奉納」の文字が右読みですし、かなり年季が入っているように見えます。社殿の復元は1993年(平成5年)ですから、その時に作られた物だとしたら、かなり磨耗しているようです。
お正月に入手した安里八幡宮縁起によると、この手水鉢は「先の大戦で唯一焼け残った手水鉢」とのことです。
安里八番宮一帯は先の大戦で日米の激しい攻防が繰り広げられ、米軍からはシュガーローフと呼ばれていました。建物はすべて焼失し、粉々に砕けた白い石灰岩が砂糖菓子のようだったことから名付けられたそうです。
当時の戦況を思うと、この手水鉢が残っているのは奇跡としかいいようがありません。参拝の際は、残された手水鉢に敬意を払い身を清めてはいかがでしょうか。
安里八幡宮で安全祈願を神頼み!
沖宮でも紹介しましたが、安里八幡宮も舞踊曲「上り口説(ぬぶいくどぅち)」に登場します。
「上り口説」は大和人の好みに合わせて創られた舞踊で、歌詞は七五調、衣装は黒紋付、颯爽とした所作が特徴です。現代でも人気のある演目ですので、目にする機会があるかと思います。
琉球から国外へ派遣される王府の役人が、首里の観音堂で旅の安全を祈願した後に安里八幡宮と崇元寺に至る…という場面を紹介しましょう。
〜上り口説(ぬぶいくどぅち)より抜粋〜
袖に降る露打ち払い(すでぃにふるつぃゆ うちはらい)
大道松原歩み行く(うふどうまつぃばら あゆみゆく)
行けば八幡崇元寺(ゆきば はちまんすーぎーじ)
役人は、家族との別れの涙(袖の露)を振り払うように松並木を下り、無事に帰還できるよう安里八幡宮で手を合わせ、港へと歩みを進めます。
この後は、長虹堤や美栄橋を渡り、沖宮で航海安全を祈願し、那覇港から薩摩へと向かいます。
※長虹堤については波上宮で紹介していますので、よろしければご参考ください。
戦跡と史跡を併せて散策するのがおすすめ
参拝に併せて、関連するおすすめスポットを2つ紹介したいと思います。
どちらも安里八幡宮から徒歩10分程度で行くことができますので、ぜひ足を伸ばしてみてくださいね。
①シュガーローフ(慶良間チージ)
安里配水池の大きな水道タンクが目印で、おもろまち駅側に入り口があります。タンクの周りが歩道になっており、展望台と案内板があります。
残念ながら、現在は展望台の目の前に建物があり慶良間方面を望むことはできませんが、途中の坂道から南側(八幡宮側)を見渡すことができます。
②崇元寺
安里十字路を起点に安里八幡宮、崇元寺跡の順番で散策するのがおすすめです。この辺りは久茂地川と安里川が合流する場所で、王国時代は泊付近まで干潟になっていました。ここから橋を渡るといよいよ那覇、別れの辛さは増すばかり…
王府の役人に思いを馳せて歩いてみましょう。着物が好きな私は、沖縄で織られている琉球絣(りゅうきゅうかすり)を着て散策しました。
安里八幡宮へは、モノレール安里駅または牧志駅から徒歩で10分程度です。
通常は無人ですが、正月三ヶ日は公民館内に社務所が設置され、安里八幡宮のお守りや御朱印はこの期間内に拝受することができます。
※御朱印のみ正月期間以外は波上宮で拝受することができます。
[基本情報]安里八幡宮
住所:沖縄県那覇市安里3丁目19番14号
電話:098-868-3697(波上宮社務所内)
営業時間:なし
定休日:なし
駐車場:なし
URL:http://jinjacho.naminouegu.jp/asato.html
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