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2019.07.07

アメリカ統治時代から息づく「沖縄JAZZ」を国際通りの老舗店で楽しむ!JAZZ LIVE KAM’S HOUSE

夜の那覇市内、国際通りを歩くとふと登場するJAZZの看板。

沖縄のJAZZは、他都道府県ではなかなか味わえない奥深さを秘めていると言われています。それは、戦後のアメリカ統治下時代に米軍基地内クラブで演奏してきたバンドマンたちの演奏が今なお息付いているから。

さぁ、今夜もJAZZのロマンチックな調べが聞こえてきましたよ。

一緒に沖縄JAZZの扉を開けてみましょう。

77歳の現役ジャズピアニスト香村英史さんの音色を聴く

訪れた先は、沖縄JAZZ界の老舗で42年の歴史を持つ「JAZZ LIVE KAM’S HOUSE」。

オーナーであり現役ピアニストの香村(かむら)英史さんらの演奏を心待ちにするJAZZファンで夜な夜な賑わいます。

JAZZバーとしての営業時間がはじまると香村さんは演奏で忙しくなるため、今日は特別に開店前に開講している「カムズピアノ教室」から取材させてもらうことになりました。

店のドアを開けると、すでにレッスン開講中。静かにしなきゃ・・と思っていたら、「自由に撮影していいからね」と撮影快諾。

レッスン生の習熟度に合わせた課題曲と指導方法で、レッスン生の向上心を支えているのがわかります。

父親の沖縄転勤と共に訪れた「沖縄JAZZ」の全盛期に触れる契機

沖縄のアメリカ統治下時代に米軍基地内で演奏していた貴重な沖縄のJAZZピアニストの1人、香村英史さんは現在77歳。終戦は横須賀で迎えたといいます。

両親は沖縄出身。父親はプロのトランペット奏者で、母親はピアノ講師。小さいころから家ではJAZZが流れ、香村さん自身も小学校2年生から中学校まではクラシックピアノを習いました。

「あのころは男の子がピアノを弾いていない時代でしょ?なんだか恥ずかしいから、途中から野球部に変えたんだ」と笑います。

高校3年生のとき、父親の仕事の事情で沖縄の普天間高校に転校。知人に「基地の中でバイトしないか?」と誘われたのをきっかけに突然JAZZを弾く機会が訪れました。当時はまだ野球を続けていたのですが、右手を突き指していたため、野球は諦めて再びピアノを弾き始めます。

知人に連れられて参加したのは「嘉手納EMクラブ」という米軍専用クラブ。アメリカ統治下時代の沖縄では、米軍基地内には米軍関係者が音楽や娯楽、飲食などを楽しむ米軍クラブが設置されており、その種類は大きく分けてOC(将校クラブ)、NCO(下士官クラブ)、EM(兵員クラブ)の3種類がありました。

香村さんによると、その頃の沖縄には20以上のJAZZビッグバンドがあり、500人近いミュージシャンがステージを飾っていました。JAZZだけでなくロックやポップスなど、いろいろな音楽を奏でていたといいます。

「譜面が読めればいいからと言われてバンドに参加したのに、いきなりCとかFとかコードを読まされてね。コードの教本なんか無い時代だから、必死になって先輩の演奏を聴いたりレコードを聴いて自分でコードを解読して。僕はクラシック音楽出身だから、最初はアドリブ演奏ができなくて、バンマス(バンドマスター)に怒られて大変だったなぁ」と苦笑いします。

それでも、当時の学校教員の初任給は70~80ドルだった中、香村さんは180ドルからスタートして最後は300ドルほどの給与をもらっていたのだそう。「いい仕事だった」と、振り返っていました。

JAZZバンドがそれほどの高給で賑わっていたのは、米軍基地内でかなりの需要があったという証。沖縄がアメリカ文化で賑わっていた背景が垣間見えます。

仕事がないなら自ら探す!KAM’Sの42年の歴史が幕を開ける

沖縄の日本復帰後は、米軍がほとんど本国へ引き揚げたため、基地内で活動していたJAZZ奏者たちは仕事を失います。転職する者やミュージシャンとして独立する者、自分の店を持つ者など様々でしたが、香村さんは自分の店を持つことを選びました。

42年前に那覇市の久茂地川沿いで「JAZZ LIVE KAM’S HOUSE」をOPEN。モノレールの開通工事がはじまったことを機に、2002年に現在の国際通り沿いに移転してきました。

お店を始めた当初は、昼間から営業したり、外国人プレイヤーが多い時期もあったといいます。「朝3~4時まで客と一緒に飲んでドンチャン騒ぎもやっていた頃もあったし、客が米軍関係者ばかりの時もあった。色々無茶もしたなぁ(笑)」と、時代とともに紆余曲折を経た歴史を振り返ってくれました。

香村さんは現在でも、毎週月・水曜日以外はステージでハイセンスなJAZZピアノを響かせます。

香村さんと同じステージに立つのは、ボーカルのめぐみさんと、ベースの清水ひろしさん。

清水さんは、言わずと知れた沖縄の重鎮ベーシスト。

めぐみさんは、以前はPOPSボーカリストでしたが、JAZZミュージシャンだった父親の影響もあってか、JAZZに転向。めぐみさんがはじめてJAZZを歌った店が、こちらのKAM’S HOUSEです。

香村さんは、現在は後進の育成を積極的に行っており、沖縄の子たちがもっとJAZZ界に出て来てくれるといいな、と期待を寄せます。

お店を彩る飲食メニューやユニークなアイテム

沖縄のJAZZファンから観光客まで幅広いお客さんが来店するKAM’S。美しい生演奏もさることながら、飲食メニューも豊富に揃います。

一番オススメなのは「ホットコーヒー」500円(税込)。奥様の悦子さんが丁寧にドリップで淹れてくれます。

絶品!悦子さん手作りのロシアンシチューの「ボルシチ」1,000円(ライス付・税込)。優しいシチューが口の中で溶けます。

ライトを照らすと鮮やかなブルーが美しいカクテル「ブルームーン」800円(税込)。JAZZ好きな方は、もう分かりますね。名曲「Blue moon」を聴きながら飲みたいところ。悦子さんオススメの一杯です。

店を彩るアイテムもなかなかユニーク。ロゴがあしらわれた「オリジナルTシャツ」2,500円(S/M/L・税込)に、オリジナル「芋焼酎」「麦焼酎」はともに5,000円(税込)。

昔、酒屋さんからもらったというサントリーの灰皿は、今は配られていないレアアイテム。KAM’Sの歴史を物語ります。

手書きのロゴが味わい深いKAM’Sオリジナルのマッチは、全国のJAZZ喫茶でマッチを集めているJAZZファンに「何個かください」と言われるそう。

 

音楽、人、飲食メニュー、店内アイテムなど、すべてが42年の歴史を持つKAM’Sを語りはじめると、やっぱり奥が深い。

まだまだ紹介したいことはありますが、今回はここまで。

JAZZを知っている人も知らない人も、沖縄に来たらぜひ足を運んでみてくださいね!

 

[基本情報]JAZZ LIVE KAM’S HOUSE
住所:那覇市牧志2丁目7-22ソシアスビル・コスモ2F(牧志郵便局向かい)
電話:0980-863-3651
営業時間:21:00~翌2:00(香村さんは月・水は演奏休み)
定休日:なし
駐車場:なし(周辺にコインPあり)

konabeharuka
この記事を書いた人小鍋 悠
沖縄出身、沖縄在住。ことば×音楽のライフワーカー。某テレビ会社とラジオ局勤務を経て、現在ライター&司会者。小さい頃はとにかく図書館が大好きで、大学ではびっしり沖縄民話の調査に当たり「取材」の原点を味わったことから、ライターへ。得意な執筆分野は「沖縄あるある」。趣味はJazzとピアノ。 このライターの記事一覧

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