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2021.04.07

琉球王朝時代の臣下らが通った古道「シンカヌチャー道」を首里城まで歴史巡りさんぽ

琉球王朝時代の臣下らが通った古道「シンカヌチャー道」を首里城まで歴史巡りさんぽ

こんにちは!沖縄出身・在住のライター小鍋悠です。

好奇心旺盛な私は、日頃よく水筒とおやつをリュックに入れ、花や昆虫たちを観察しながら散歩しています。今回は、そんな私が小さい頃からゆかりがあるエリアを実際に歩きながら紹介します。

那覇市繁多川周辺にある「シンカヌチャー道」は、首里城継世門から識名園までの約2kmの古道で、琉球王国時代に実際に使われていました。

山を下ったり上ったりしながら、世界遺産の首里城識名園のほか、たくさんの井戸や御嶽、古い石橋などに出会うことができるルートです。県都那覇でこんなに自然と歴史が体験ができるエリアは、かなり貴重です。

徒歩約2時間の結構ハードな道となっていますが、今回は繁多川からスタートし、首里城をゴール地点として歩きたいと思います。いざ、出発!!

まずは朝ごはん!「ユクイダキ(休憩岳)」で腹ごしらえ

まずは朝ごはん!「ユクイダキ(休憩岳)」で腹ごしらえ

ただいま朝8時。朝の涼しい時間に出発してゴールしようという試みです。まずはお腹が空いては歩けないので、大好きな「いまいパン」で購入したパン・スイーツで腹ごしらえ。

今回の旅仲間として、音楽家でシンガーソングライターのアラカキヒロコさんがモデルとして同行してくれます。

ヒロコさんは、首里生まれ首里育ち。「首里まちづくり研究会」の事務局次長、「Ninupha Music(ニヌファミュージック)」代表をつとめられています。

今日は首里エリアをたくさん歩くので、ヒロコさんの奏でる音やユンタク(おしゃべり)話を聞きながら、なんとも贅沢なさんぽを堪能しちゃいます♪

全体地図

今座っているエリアは「ユクイダキ(休憩岳)」。名前の由来は、なんと琉球王国時代にさかのぼります。

当時の国王「尚真王」は、自らの側で仕えていた三司官「花城親方(はなぐすくおやかた)」の葬儀の際、最後の別れをすべく葬儀の一行をこのエリアで留めさせました。恩義のあった花城親方にむけて首里城の「アザナ(阿佐那)=物見台」から焼香し、最後のお別れをしたといいます。一行をしばらく留めさせたことから、こちらのエリアはのちに「ユクイダキ」と呼ばれるようになりました。

案内板には、シンカヌチャー道や周辺の歴史散歩道の地図、文化財の場所が書かれています。近くを通った際は、ぜひじっくりご覧ください。

夜はライトアップするので、識名園の観光のあとでもゆっくり見ることができますよ。

識名園

ちなみに、ユクイダキから徒歩3分ほどのところには、世界遺産の識名園があります。

2000年に登録された日本で11番目の世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の1つ。

1799年、琉球王国の第2尚氏第15代目の国王「尚温王」の時代につくられた王家の別邸で、王家の保養や冊封使の接待などに利用され、迎賓館としての役割も担っていました。首里城の南にあることから、別名「南苑」と呼ばれていたそうです。

識名園

識名園は、池のまわりを歩きながら景色の移り変わりを楽しむ「回遊式庭園」。中国風の東屋の六角堂や琉球石灰岩でつくられたアーチ橋など、ところどころに琉球独特の工夫が見られます。

第2次世界大戦で大きな被害を受け、その後復元整備されました。

国際通りから5番と14番のバスに乗って1本で来ることができて、アクセスも良し。観覧料は大人400円、中学生以下200円です。

馬を競わせた「識名馬場跡」や県指定文化財「ヒジ川橋」を渡る

案内板

では、さっそくシンカヌチャー道を歩いて行きましょう。

この歴史道は随所に案内板が設置されていて、地面にもカラーやデザインが施されているので、観光客やこのエリアを知らない地元沖縄の人もとても歩きやすくなっています。

識名馬場跡

スタート地点から真っ直ぐに歩くこと1分。さっそく「識名馬場跡(しきなばばあと)」に到着しました!ヒロコさんが「ここじゃないですか?」と教えてくれました。

識名馬場跡

こちらが識名馬場跡。まっぐすな直線が気持ちいい!

後に調べてみてわかりましたが、「識名馬場」は琉球王国第二尚氏時代、尚家直轄の馬場で最大の規模だった場所。全長300m、幅約30mで、南北の両脇には樹齢350年ほどの老松が植えられていました。

沖縄県内にはいくつかの馬場がありましたが、他の馬場は200メートルぐらいがほとんどだったそうなので、識名馬場の大きさが伺えます。

王府が催す競馬はこの識名馬場で挙行され、廃藩置県後も明治30年前後までは毎年競馬が行われていたとのこと。面白いのは、現代のように馬を走らせる競馬ではなく、「脚組す(あしくますん)」といって、早足(一本の脚は常に地面につく)で勝負させたこと。

さらに当時、沖縄は古来馬の産地で、中国への進貢(輸出)が馬と硫黄だったのもユニーク。

沖縄土産といえば「ちんすこう、さーたーあんだぎー・・」などと想像する現代の私には、とても考えきれません。びっくり!

ヒジ川橋までの階段

ヒジ川橋

識名馬場跡から急な坂道を下ったところにあるのは、沖縄県有形文化財の「ヒジ川橋及び取付道路(以下、ヒジ川橋)」。

全長13.18m、幅5.2m。琉球石灰岩でつくられたアーチ橋で、橋の中央部がわずかに高くなっている3段の階段式の橋です。近くの「ヒジガー」という井戸にちなんで名前が付けられたそうで、井戸があったエリアも昔「ヒジガー村」と呼ばれていました。

橋の脚の部分は布積みでつくられ、その他は相方積み。川床に張石が施されているのも大きな特徴なので、ぜひじっくり見ることをオススメします。

ヒジ川ビラ

ヒジ川橋がある金城ダム側から道路の向こう側に渡ると、那覇市指定記念物(史跡)の「ヒジ川ビラ(坂)」が登場。残念ながら土砂崩れにより通行できませんでしたが、通行再開したらこういう風景が待っています。

ヒジ川ビラがつくられたのは16世紀~17世紀頃。琉球王国時代、首里から沖縄本島南部の島尻へ繋がる3つの道のうちの1つが、こちらの道です。戦前まで道の両側には松並木が続き、自然豊かな場所だったそうで、現在は南半分の約145mが残っています。

写真を見ても石道や両脇の石垣など、美しい道の面影を垣間見ることができます。

ゴールの首里城まであともう少し!歴史に残る文化財や建造物と触れ合う

儀間真常の墓

スタート地点から1時間以上は経ったでしょうか。撮影しながらゆっくり歩いてきましたが、それでもここまで来ると、ゼーゼーと息切れ。

結構ハードな山道を下ってのぼって、住宅街の間を通り抜けてきました。こんな山道を使っていたとは、琉球王国時代の人達の足の力は強いなぁ!

儀間真常の墓案内板

こちらで現れるのが「儀間真常(ぎましんじょう)の墓」。

儀間真常は、沖縄の産業の振興に人力した偉人の1人で、沖縄出身の人なら小学校の社会科の授業などでお名前を一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?

1557年垣花生まれの儀間真常は、野國總管(のぐにそうかん)が中国から持ち帰ってきたサツマイモの栽培と普及に尽くしました。1609年、琉球に薩摩藩の島津が侵入した際は、捕虜となった尚寧王とともに鹿児島に赴き、木綿の種子(たね)を沖縄へ持ち帰りました。

さらにその栽培法と木綿布の織り方を広め、中国から砂糖製造の技術も導入して国中に広めたため、沖縄の産業の恩人と称されています。

なかゆくい(休憩)タイム

なかゆくい(休憩)タイム

待ちに待った「なかゆくい(休憩)」タイム。ヒロコさんより喜んだのは、肩息ゼーゼーのライター小鍋のほうです。

休憩所の東屋は儀間真常の墓のすぐ上に位置し、見晴らしがとても良い場所。ヒロコさんの奏でるリコーダーの音色を聞きながら、風に吹かれ、とても心地よい時間を過ごしました。

御茶屋御殿跡

東屋から右に歩いて行くと、まもなく見えてくるのが「御茶屋御殿跡(うちゃやうどぅんあと)」。

1677年に建てられた王府の別邸で、国王が遊覧され、国賓を接待したり任官者の武芸、芸能百般を検分した場所です。首里城の東にあることから「東苑(とうえん)」と呼ばれ、首里崎山にあることから「崎山御殿(さきやまうどぅん)」とも言われていました。

わずかに石垣などが残されており、現在、首里カトリック教会敷地となっています。

ちなみにヒロコさんは、こちらのエリアにある「首里カトリック幼稚園」の出身。今でも、まちあるきイベントなどの散歩ルートとして度々付近を訪れているそう。「首里は歴史があるので、勉強すればするほど、掘れば掘るほど色んなものがでてくる魅力あふれるまちです」と目を輝かせます。

旧御茶屋御殿石造獅子

御茶屋御殿跡から道しるべにそって反対側に歩いていくと、崎山公園の中にドドンと大きなシーサーが!

名前は「旧御茶屋御殿石造獅子(きゅううちゃやうどぅんせきぞうじし)」と言い、那覇市指定民俗文化財です。

もともとは、さきほどの御茶屋御殿の一角のがけの下にあったものです。御殿を魔物や妖怪から守り、火を飛ばしてくると考えられていた南の八重瀬岳(やえせだけ)に向かって設置されていた火伏せのシーサーです。

旧御茶屋御殿石造獅子

旧御茶屋御殿石造獅子

せっかくなので、正面ドアップと横から撮ってみました。すごい迫力!これだけ大きなシーサーが見られるのは、沖縄でも稀です。

180度の絶景ビュー!琉球の国王が祈った御嶽や馬場が次々と登場

那覇のまちなみ

見よ、この美しい絶景!!那覇のまちなみが一望でき、遠くは海まで見渡せます。さっき休憩したばかりですが、こんなスカイビューをみたらもう堪能するしかありません。

ポカポカな太陽と吹き抜ける風に包まれながら、ヒロコさんの奏でる「だんじゅかりゆし」の音色を聞いていたら、いつの間にか30分経過していました。

こちらの公園は駐車場やトイレもあり、沖縄の地元の人にとても愛されている公園です。取材中も、昼休憩と思われるサラリーマンや若いカップルなどが多数見られました。夜景スポットとしても有名です。

絶景を見てすっかり元気回復したライター小鍋。最後のゴールまで一気にご紹介します!!

崎山御嶽

崎山公園の入口近くにあるのは「崎山御嶽(さきやまうたき)」那覇市指定記念物(史跡)。

琉球の察度王の子「崎山子(さきやましー)」の屋敷跡と伝えられており、境内には彼のお墓といわれる「東姓拝所」が境内にあります。

もともとは石造りの門でしたが沖縄戦で破壊され、現在はコンクリートづくりの門となっています。

雨乞嶽

雨乞嶽

シーサーと同じ崎山公園の敷地内にある「雨乞嶽(あまごいたき)」(那覇市指定記念物〈史跡〉)。

名前の通り雨を乞う御嶽で、琉球王国時代、大かんばつの時は国王自ら竜王に雨が降るのを祈ったことから「雨乞嶽」と呼ばれています。丸く囲まれた石垣の中に祭壇と香炉が設置されています。

さっそくヒロコさんはお祈りをはじめましたが、沖縄には、こういった昔から地元の人に大切にされている御嶽がたくさんあります。沖縄の人たちを見守ってきた聖地なので、歴史を見学する時は静かに過ごし、御嶽内にあるものは持ち帰らないようにしましょう。

崎山樋川

こちらは、崎山御嶽の東側にある「崎山樋川(さきやまひーじゃー)」。

案内板には「良い方角(恵方)が巳(南南東)に当たる年には、元旦に王様へ献上する若水(わかみず)が汲まれました」と記載されており、若水とは「元旦にはじめて汲む水」のこと。

取材時も拝みをしている女性がいたので、今でも神聖な樋川として大切にされていることがわかります。

崎山遺跡

旧石器時代の遺跡「崎山遺跡」。

鹿の角や骨が発見された遺跡で、採石工事によってほとんど破壊されてしまいました。

旧石器時代は約3万年前ですが、当時沖縄に住んでいた人はどんな人達で、どんなものを食べていたのでしょうか。

ヒロコさんがハーモニカで吹き鳴らしてくれた沖縄の歌「赤田首里殿地(あかたすんどぅんち)」を聞いていると、当時の沖縄を知る約3万年の遺跡を見られることが、なんだか感慨深いのでした。

崎山馬場

崎山遺跡から反対側に歩いて行くと見えるのが、王家御用の馬場だった「崎山馬場(さきやまばば)」。馬術訓練の様子を王様がご覧になったという御桟敷跡(うさんしちあと)は、現在首里崎山町の公民館の辺りとの事なので、その場所から写真をとってみました。

この辺りは昔、竹に囲まれた家々があり趣があったそうです。竹だなんて、現代の沖縄の風景から想像できません。だから歴史は面白いっ!

首里城継世門

道路に施されたカラーやデザインを追いながら進むと、ついにゴール地点に到着!

こちらは、世界遺産の首里城の東にある門「首里城継世門(しゅりじょうけいせいもん)」。

正殿の裏側にあたり、国王死去の場合は、世継ぎの王子が次の王様になるための儀式をする際、必ずこの門を通って城内に入りました。

方言で「すえつぎうじょう」と呼ばれており、赤田村に向かって開いていることから「赤田御門」とも言われています。

琉球王国時代に使われていた約2kmの「シンカヌチャー道」、いかがでしたでしょうか?

県都那覇で自然の息吹あふれる山を上り下りするだけでも非常に貴重な経験!いつも通っていたような道も、歴史を学びながらゆっくり歩くととても気持ちいいものです。

モデルをしてくださったアラカキヒロコさんは「私は城西小学校出身で、小学3年生のときに首里城が開園しました。きょうは、小学校時代を思い出しながら歩いて音を奏でました。鍵盤ハーモニカはLIVEでは吹きますが、他では演奏していないので、まさか文化財の前で吹くとは(笑)!。とても楽しかったです」と笑顔。

ライターの私小鍋は「先人の歩いた道を私も歩いているんだなぁ」と思いながら歩き、とても感慨深いさんぽ取材となりました。

ぜひ皆様も、仕事や買い物以外で外出する機会がめっきり減っているいま、沖縄の歴史をつむいできた古の風情残る文化財を見ながらゆっくり歩いてみてはいかがでしょうか?

〈参考文献〉
・「那覇市の文化財」(那覇市教育委員会)
・「首里城物語」(一般社団法人 沖縄美ら島財団 首里城公園管理部)
・「王都首里見て歩き」(古都首里探訪会)
・「琉球王国のグスク及び関連遺産群」世界遺産登録20周年記念事業パンフレット(同事業実行委員会)
・「歴史散歩マップ 世界遺産まーい」(那覇市教育委員会)
・「繁多川100周年記念誌『繁多川』(繁多川自治会)
・「那覇市市史資料編第2巻中の7」(那覇市)

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この記事を書いた人小鍋 悠

沖縄出身、沖縄在住。ことば×音楽のライフワーカー。某テレビ会社とラジオ局勤務を経て、現在ライター&司会者。小さい頃はとにかく図書館が大好きで、大学ではびっしり沖縄民話の調査に当たり「取材」の原点を味わったことから、ライターへ。得意な執筆分野は「沖縄あるある」。趣味はJazzとピアノ。

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