伝統
2020.01.07
【琉球八社】沖縄の神社「波上宮」を歴史的観点から巡る
神道の信仰は琉球王国にも伝わっており、波上宮を代表に多くの神社が創建されています。神道がいつごろ琉球に伝来したのかはっきりとわかっていませんが、琉球古来の聖地・拝所として信仰されてきた場所に神道の神が祀られるようになりました。
王国との関わりが深かった琉球八社に焦点をあて、歴史を感じながら参拝する経路も合わせて紹介していきたいと思います。それでは、琉球八社第一位の地位にある波上宮をご案内しましょう。
「なんみんさん」の愛称で親しまれる波上宮
歴史書で創建年が明らかにされている神社は、1451年・長寿宮(浮島神社)、1466年・安里八幡宮などがあり、15世紀頃には創建されていたようです。王国時代に創建された神社のうち、波上宮、沖宮、末吉宮、安里八幡宮、識名宮、普天満宮、金武宮は王府が管理していた官社で、琉球八社と呼ばれています。1879年の王府解体以降は明治政府が管理することになりました。戦後は国家から分離し、宗教法人として現在に至っています。
波上宮は、年間を通して多くの参拝客で賑わい、「なんみんさん」として親しまれています。季節毎に行事があり、中でも5月17日の例大祭に合わせて開催される「なんみん祭」は、お神輿行列・沖縄角力大会・琉球芸能の奉納・のど自慢大会など数々の催し物が盛大に行われます。
王国時代には寺社座の管理下に置かれ、国王や役人が公式行事として参拝していた記録が残っています。八社の中で最も格式のある神社で、明治23年には沖縄県で唯一の官幣小社に列格されましたが、先の大戦で被災しました。昭和28年から再建が始まり、現在の社殿は平成5年に竣工されたものです。
写真は波の上ビーチ(若狭側)から見た波上宮です。波の上ビーチは1991年に整備された人工ビーチで、那覇市内にある唯一のビーチとして多くの人が訪れます。目の前に走っている波の上臨海道路は、2011年に那覇空港と市街をつなぐ道路として整備されました。
明治の頃も海水浴場として賑わいを見せていましたが、その後の開発や大戦後の整備に伴い景観がかなり変わっています。
王国時代の波上宮周辺はどのような景観だったのでしょうか。
波上宮は離れ小島だった「なはのはな」に建てられた
写真は奥武山公園の案内板。現在は埋め立て開発が大々的に行われたことから、当時の地形を感じることは難しいですが、王国時代の那覇は浮島でした。図の中央左上に描かれている島が那覇です。安里川・久茂地川・国場川に囲まれて、海は今よりももっと広く、沖縄島(沖縄本島)から那覇には複数の橋がかかっていました。
1451年に長虹堤(ちょうていこう)と呼ばれる橋が建設され、那覇と沖縄島は安里から若狭まで陸路でつながりました。それを機に大型の外国船が入港できる港が整備され、那覇に多くの人が移り住み大発展を遂げます。当時の那覇には琉球人のほか、若狭村には薩摩の役人、久米村には中国からの渡来人など多くの外国人が住んでいました。
波の上は王国時代には「はなぐすく」とよばれていました。「はなぐすく」とは「端城」を当て、那覇の突端であるとともに、波の上が神の居住地であることを意味しています。波上宮が鎮座している場所は、もともとは琉球古来の神に祈りを捧げる聖地・拝所であり、その周りに他国の信仰の場となる施設が建てられ現在に至っています。那覇において、琉球古来の信仰と外国の信仰が共存してきた歴史を伺い知ることができます。
すこし足をのばして海側から眺める
参拝後は波の上臨海道路へ回って海側からお宮を見てみましょう。エメラルドグリーンの海に囲まれた崖の上に鎮座するお宮の姿は南国情緒にあふれています。
海側から見える建物は本殿で、陸側から見える拝殿とは屋根の形状と色が異なりますので注目してみてくださいね。どちらもとても美しいです。
王国時代から琉球第一位の神社として崇敬されてきた神社「波上宮」。徒歩での参拝路としては、ゆいレール旭橋駅または県庁前駅から泉崎橋を渡り、久米大通りから波ノ上通りを進むのがお勧めです。(徒歩20分程)
波ノ上通り沿いには波上宮のほか、護国寺や天妃宮・天尊廟が隣接しており、那覇の歴史を感じることができるでしょう。
沖縄の神社ならでは、紅型模様のお守りがあります。その他、お宮をデザインしたオリジナルの御朱印もとっても可愛いですよ。
[基本情報]波上宮
住所:沖縄県那覇市若狭1−25−11
電話:098−868−3697
営業時間:社務所9:30〜16:30
定休日:なし
駐車場:あり
URL:http://naminouegu.jp/
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