くらし
2019.09.05
沖縄本島最北端の辺戸岬から約20分。沖縄の原風景が残る国頭村与那をまるっと紹介!
国道58号線を北上し、沖縄本島の最北端「辺戸岬」に行くときに必ず通る国頭村の与那。
沖縄の若者は、車の免許を取得すると必ず「A&W名護店」と「辺戸岬」にドライブに行くという、もはや都市伝説?のような習慣がありますが、A&Wから辺戸岬に行くときに通過する与那には、まだ行ったことがない人が多いのではないでしょうか?
人口200人弱の小さな「与那」区は、山と海に囲まれた大自然の息吹があふれる魅力たっぷりな集落。私、ライター小鍋悠は、イベントや音楽ライブなどで度々与那を訪れていて、すっかり与那ファン。
さぁ今回は、自然と史跡と笑顔あふれる与那をご紹介します!
目 次
ユナムンダクマが案内する、魅力あふれる与那集落
今回集落を案内してくださるのは、地域活性化組織「ユナムンダクマ協議会」代表の大城靖さん。「ユナムンダクマ」とは、「与那の知恵」を表すそうで、昔、与那の人たちは集落外から来た賊と、武器ではなく知恵で対決していたことから生まれた言葉です。
現在は、自らの手で自らの集落を大切にする「結の心と強い絆」を意味し、大城さんは集落イベントなどを通じ、与那に訪れた人へ与那の魅力を紹介しています。
大城さんが手に持っている資料は、大城さんが立つ同じ場所から昭和30年代に撮った写真。今は現存しない茅葺き(かやぶき)屋根や段々畑も見えます。いやはや、貴重な写真!
「これは、私の父親が撮った写真です。この時代は芋が主食なので、母親たちは朝4時から起きて芋をふかし、こどもたちは『芋』を弁当として学校に持って行きました。米や肉はまだまだ貴重品でしたから、正月やお祝いなど、祭りや行事の時しか食べられなかったんです」と大城さん。
いやー、昭和世代の私にとって、昭和30年なんて、そんなに昔では無い時代。今やスーパーに行くとお高めな値段の芋が、普通に食べられていたなんて!
こちらは「神アシャギ」。一般には村の神を招いて祭りを行う小屋といわれていますが、与那でもやはり、神行事の時に神人が座る場所となっています。
与那の伝統行事やイベントなどを行う与那地区交流拠点施設「よんな~館」の真向かいにあります。
隣には神人用の「火の神」。食べものになる動物などに感謝を込める場所です。特別に扉の中を見せてもらうと、水、塩、酒がお供えされていました。
与那の伝統行事には、女性だけで行うエイサー「7月モーイ」、女性が踊る「ウシデーク」、豊年満作を願う「豊年祭」がありますが、この3つの行事が自分たちの声と歌で現存しているのは、沖縄では与那ぐらいと話す研究者もいるそう。
自然豊かな与那は、自然を愛する与那の人たちの手で温かく守られてきたことが垣間見えます。
全てのものに感謝して生きているのが、この沖縄本島北部の山原(やんばる)だと、大城さんは教えてくれました。
こちらは「子産ガマ」。伝統行事「アブシバレー」の時に、神人さんが前年のアブシバレーから今年のアブシバレーの間に産まれたこどもを神様に報告します。
大城さんは「子は宝。こどもがいるから集落も繁栄できる。人間という動物も自然の一部ですから、自然を敬い、自然を大切に想っていきたいですね」と静かに語ります。
与那共同店の前にあるのは「ノロ殿内」。与那の祭祀を司るノロの屋敷跡ですが、今でも神行事の際にノロが使用しています。
与那の人々の生活を垣間見る集落さんぽ
さぁ、ここからは各屋敷が集う住宅エリアに入っていきます。
それぞれの家の玄関に掛けられている表札は、なんと手作り!集落の区長さんの指導のもと、こどもたちが作ったそうです。
写真の「上門」さんは、与那の本家(むーとぅやー)。本家は「与那の初めの家」という意味で、ご先祖さんは、400~600年前に与那にはじめて住んだ始祖とか。
教科書に載ってるような「歴史」がリアルに目の前に広がり、何だかテンションが上がります。
与那には「班」と呼ばれるエリアが5つあり、各班の井戸にはそれぞれ個性があります。こちらは4班の井戸。別名「豊里川(ふさちがー)」。
昔は井戸で洗濯をしたり、自宅用の水を汲んだり、集落内の井戸に併設されている五右衛門風呂に入ったりと、日常生活で使用していました。
五右衛門風呂が沖縄にあったとはビックリです。
風呂に入るときは利用者それぞれ薪を持参し、男女決められた時間に入っていたそう。薪を持参できるのも、林業のムラ「与那」ならでは!
そして、この4班の井戸の特徴といえば、「天星(てぃんのふし)」。
別名「星石(ふしいし)」とも呼ばれるこの石は、空から降ってきた隕石と言い伝えられていて、ハブに噛まれたら、石を触ってから傷口をなでると治る特効薬だとか。石の目印はありませんが、井戸の入り口にあるので、ゆっくりと井戸周辺を観察すると発見できます。
集落の随所にある拝所。各拝所の造りや祀られている神様の名前は違いますが、きっと与那の皆さんを温かく見守る神様には違いなさそう。昔、知り合いのオバーに「拝所に出会ったら、自分の住所と名前を言いなさいね~」と教えられたことがあったっけ。
ええ。今回も、どの拝所を通る時も心の中で唱えましたとも!
与那に住む方にもお話を聞くことができました。
「いま白髪染めしてたわけよ。今日は畑の野菜を全部抜いたから、今度は小松菜を植える」と話すのは、屋号「前口小」のヒロさん。
「若いときは那覇とかが良かったけど、年取ったら与那が上等。1、2日部落の人に会わなかったらすぐ『どこに行ってたの?』と聞かれる。見守られてて嬉しいさぁ」とニコニコと話してくれました。
与那集落に息づく自然の恵みを探して
ここからは与那の自然散策です!
さっそく見つけたのはヤマブドウ。蔓(つる)はカゴを作るのに最適で、本土では1万円以上でカゴが売られているそうです。実の部分は泡盛に漬けて「ぶどう酒」に。薬用に良く、これからの季節9~10月に実がなるとか。
国道58号線沿いの集落入り口の右手の壁にビッシリ生えているのは、島野菜のニガナ。
「与那のニガナは潮風に吹かれてへばりついているから、苦いよ~」と、大城さんはエへへと笑います。
左のアザミは、葉はトゲを取ってサラダに、根はゴボウのように食べられるそう。
右はツワブキ。茎を湯がいてお浸しにして食べます。
集落に流れるのは、水の綺麗な与那川。
「あなたの家の水もここから来ているかも。沖縄の人たちの貴重な水は、北部の森の中からも採水されていること、忘れないでくださいね」と大城さん。
人間の生活を成り立たせている衣食住のすべては、自然からの恩恵。与那集落にいると、毎度その原点に気づかされます。
そして、自然の恵みからできた与那のオリジナルお土産品は「山原の香り袋」1,500円(税込)。
国頭村の琉球桂皮(カラギ)と楠(クスノキ)を主とし、与那をイメージした天然香料で香りをブレンド。与那のオバー達が裁縫した麻袋付き。
注文・問い合せは「ユナムンダクマ協議会」まで。TEL:090-9780-7594
歴史と文化に触れる与那集落の見所スポット紹介
今度は、集落入り口から道路を渡った海岸沿いへ。
海の向こうに見える建築物は、旧トンネル。
与那から隣の集落へ続く道は、天然の山道(タカヒラ)、大正6年、昭和9年、昭和47年、平成7年と100年の間に5回も変わりましたが、この旧トンネルは4回目に造られたものです。
トンネルの右側にある割れた石のあたりが3回目の道。毎朝こどもたちは、ここを通り右端の岬を回って学校に通いました。
自動車も流されたことがあるほど激しい波が打ち寄せるので、毎朝校長先生がその場所に立ち、波のリズムを見計らってこどもたちを誘導したとか。小学生は、6年生が1年生の手を引いて渡ったという大城さんの話を聞いていると、自然とともに生きてきた、与那の人々の力強い「生命の鼓動」を感じます。
ちなみに、現在58号線にある「与那トンネル」は5回目につくられた道。
58号線を北上して辺戸岬に行くときは必ずこのトンネルを通るので、「5回目の道」と意識して通ると、100年の歴史の浪漫が感じられるかもしれません。
国道58号線沿いの部落入り口右側のバス停のところにあるのが、琉歌「与那節」の歌碑。
「与那の高ひらや 汗はてどのぼる 無蔵と二人なりば 一足なから」と歌詞が刻まれていますが、ザックリと現代語訳すると「難儀な与那の高坂(隣村へと続く自然の山道)でも、愛しいあなたと一緒ならほんの1足の時間に思える」という意味。
伝統行事の「7月モーイ」で実際に歌われている曲だそうです。リアルに歌われる現場、いつか見てみたいなぁ。
写真左側の与那トンネルの出口付近にある「夫婦川」は、2つの川の水流が1つに混ざり合っていることから名づけられています。
写真右側は、約100年前まで生活道として使われていた「与那の高坂(たかひら)」入り口。登り始めると急な雨が降ってきたので、登山は断念。でも下山したら雨が止む事態にびっくり。山の神様、今度は登らせてください。
与那では毎年11月ごろに「与那の高坂(タカヒラ)」を歩くヨンナー散策ツアーを開催しているそうなので、登山してみたい人はヨナムンダクマ協議会」へご連絡してみてください。
与那の高坂は、地域の活性化に生かすため約100人以上の区民が関わって復活させた、天然の山道。ルートの一部は民有地なので、利用の際は「ユナムンダクマ協議会」へご一報を。
山には登れなかったけど、振り返るとこんな美しい景色が。今日一番の絶景!
集落の住民が共同で出資・運営!プチ図書館もある「与那共同店」
与那共同店は、ちょっとした飲食物や家庭用品が売られていて、集落の住民が共同で出資・運営する店です。
沖縄本島では北部によく見られる店の形式で、地域によっては「共同売店」とも呼ばれてます。お水や総菜など、その地域のローカルな飲食物が売られていたりするので、本島北部にドライブに行くときは、各地の共同店に入るのも1つの楽しみ方。
店内には「プチ図書館」というコーナーも!与那共同店が沖縄県立図書館の本を一括で借り、与那の人々は店から本を借りて店に返すというシステムです。県立図書館がある那覇までの約100kmを車で走らせなくても、手軽に本が読めるなんて有難い。
[基本情報]与那共同店
住所:沖縄県国頭郡国頭村与那81
営業時間:7:00~19:00(12:30~15:00は休み)※最新情報をチェックください
定休日:日曜定休
与那の食材を使った「与那ごはん」をご紹介
ここからは、与那の食材を使った「与那ごはん」の実食タイム。調理は、ヨナムンダクマ協議会の辺野喜オリエさんが担当してくれます。大城さんと与那の区長・宮城忠信さんも交じえてゆるやかにスタートします!
まずは「手羽先の先」。ハイケイ(廃鶏)でBBQする与那ならではの料理です。
ちなみに、与那で「ハイケイしよーよ!」と誘われたら、自宅の庭などで廃鶏をつかったご当地BBQへのお誘い。
私も一度「ハイケイ」に誘われたことがありますが、最初は「ハイケイ」が何を表すかわからず「拝啓?それとも背景?」と戸惑い、集落の方に笑われたのを鮮明に覚えています。
左上のモーイ(赤ウリ)と塩こんぶの煮付けに、右上は醤油+みりん+しょうがで味付けしたハラゴー(魚の卵)。
左下のパパイヤのイカスミ炒め、デザートは沖縄の最高級パイン「ゴールドバレル」(右下)。
いや~、どの料理も優しい「お母さんの味」で心が温かくなりました。
こんなにたくさんの料理を1時間内でササっと作ってくださったオリエさん、有難うございます!
与那の料理の実食タイムが落ち着く頃、宮城区長に与那に住む人々の特徴を聞いてみました。
「与那の人は、とにかく世話好きが多い。あと女性は『ガラサー(カラス)』と呼ばれていて、夜明けから晩までユンタク(おしゃべり)が大好きな人が多い。声も笑い声も大きいから、200m先からオバー達の声が聞こえる(笑)」と話します。
今回、快く取材に協力してくださったのは与那区長の宮城忠信さん(写真左)、ユナムンダクマ協議会の辺野喜オリエさん(写真中)と大城靖(写真右)さん。
与那では子供の減少に伴い人口も減ってきた時、集落の維持が困難になる「限界集落」という言葉がよぎり、前区長が「20年後にはうちのムラが無くなるぞ!」とユナムンダクマ協議会を立ち上げ、区民自らの手で地域おこしをはじめたそうです。
大城さんは「今後も、若者が住みたくなるような、ムラに残りたくなるような、与那から仕事に行ける環境づくりを整えていきたいです」と話してくれました。
「いつか、与那にある5つの井戸の水でコーヒーを淹れて飲んでみたいなぁ(笑)」とまだまだ夢は続きます。
取材から帰るころには、美しい夕日タイム。なんだか、与那の人々が自然を愛する理由が分かるなぁ。自然のありのままの姿こそ強く、美しい。
沖縄の原風景が残る、自然と史跡と笑顔あふれる国頭村与那。
皆さんもまずは、辺戸岬に向かう途中に与那売店に寄ってみませんか?
与那にはコンビニも映画館もありませんが、与那の人々はいつでも皆さんの訪問を歓迎しています。
[基本情報]ユナムンダクマ協議会
住所:国頭村字与那68番地
電話:090-9780-7594
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