観光
2022.09.06
案内親方と巡る世界遺産訪問 ~琉球ロマンあふれる、おもてなし庭園~ 那覇市「識名園」
沖縄が誇る観光スポット「識名園(しきなえん)」は、琉球王家最大の別邸。世界遺産であり県内唯一の特別名勝でもあるこの場所は、沖縄に来たら訪ねていただきたい庭園です。
目 次
おもてなしのための別邸は外交の重要スポット
首里城公園から約5㎞。タクシーに乗ると15分程度で着く「識名園」は、那覇市真地にあり1799年に完成したとされる廻遊式庭園。琉球王国時代に国王一家の保養、また中国皇帝の使者「冊封使(さっぽうし)」など海外からの使臣たちの接待などに使われていた庭園です。
1941年に日本の名勝に指定されたものの沖縄戦によって壊滅的なダメージを受け、その後1975年から整備。2000年に特別名勝に指定され、さらに同年ユネスコの世界遺産に登録、という流れを経ています。
スペシャリスト「案内親方」と回る識名園
琉球王朝の息吹を感じ、咲き誇る美しい草花で沖縄の四季も楽しめるこの特別な庭園を散策しますが、園内の面積は約41997平方メートルあり、甲子園球場の約3倍とかなりの広さ。
歴史的な価値を知りながら効率よく園内を回りたい、ということで「案内親方(ウェーカタ)」の奥濱眞市(おくはま・しんいち)さんにガイドを依頼。
「案内親方」とは那覇市史跡めぐり案内講師の通称で、那覇市文化財課が主催する講座を受講し、文化財に関する厳しい試験に合格した方々のこと。深い知識をもとに分かりやすく説明し、快適な史跡めぐりをお手伝いしてくれます。
個人で依頼できますので、ぜひご利用ください。詳細や登録者名簿はこちらから確認し、謝礼・交通費については連絡時に直接お話いただくことになります。
<那覇市 案内親方・識名里主ご利用の手引き>
https://www.city.naha.okinawa.jp/kankou/bunkazai/annnaioyakata.html
今回お願いした案内親方の奥濱さんは、約30年のキャリアを持つベテランのガイドさん。沖縄県内の史跡ガイドをはじめ、平和教育・体験学習の講師も務めています。修学旅行関連のアドバイザーとして日本全国の学校を訪ねたり、来沖時には案内したりといつも活躍中。これからもお世話になりたい、頼もしさ抜群の存在です。
そんな奥濱さんに案内いただけることを幸運に感じながら、まずは識名園の門をくぐります。
三国の文化がチャンプルーされた庭園!?
現在の入口になっているのは、実は正門ではなく「通用門」。中に入ると左手に見える「番屋」に警備担当が配置され、琉球空手の達人が駐在していたそう。
その横には果樹園があり、しっかり見渡すと美しく整えられた木々が広がっています。
この庭園が作られた当時は、大和の文化も入ってきている時代。
「琉球国王が亡くなると、新しい王様を任命する就任式があります。その時は中国から冊封使が来ますから、その接待場所として識名園が使われていたんです」と話す奥濱さん。琉球・日本・中国の三つの文化が混在する、まさにチャンプルー様式の庭園です。
敷き詰める石や方向、歩道には工夫がいっぱい
奥濱さんに案内されるまま歩くと「正門」が右手に見え、現在は閉まっていました。
方言では「家門(ヤージョウ)」というそうですが、役人や諸国の使臣たちがこの門をくぐって識名園を出入りしていた・・・そんな琉球時代をイメージすると、厳かな気持ちになっていきます。
正門を背にして庭園の奥へと続く道を見ると、緩やかなS字を描いていることが分かります。「S字になっているのは、『ひんぷん』の効果があるからです」と奥濱さん。
「ひんぷん」とは、沖縄の家屋などで見られる魔除けの壁。目隠しとしての機能もあり、道をS字にすることで悪いものがストレートに入ってこないように、という考えのもとに作られているそうです。そしてもうひとつ、奥まで見渡せないことで庭園を広く見せる効果もあるのだそう。
また、その道に敷き詰められた石が小さいことも教えてくれました。それは「滑り止め」として、わざと小さな石を敷き詰めているとのこと。視覚で広く見せ、さらに歩きやすさも追求。計算されつくした庭園の作りにビックリです。
おいしい湧き水に贈られた、二つの石碑
続いて案内されたのは「育徳泉」。立派な石垣が積まれている、井戸の跡地です。ここの石垣は「あいかた積み」という沖縄独特の積み方で、曲線を出す美しい形状になっています。奥濱さんいわく「首里城や識名園は地層が粘土なので、水が貯まって湧水が豊富でした」とのこと。
井戸口の上部には2つの石碑が立ち、向かって右側は1800年に冊封使・趙文楷が題した「育徳泉碑」です。「若い王様がよく勉強をし、立派な王様になるように」という意味。
左の碑は1838年に冊封使・林鴻年が題した「甘醴延齢碑」。「甘い水は命を延ばす」という意味が込められているのだそうです。
琉球の発展を願う言葉、そして湧き水のおいしさを讃える言葉を冊封使が送ったことから、琉球と良好な関係を築こうとしていたことが伝わってきますね。
建材に設計、細部までこだわった「御殿」
育徳泉から少し進むと、「御殿(ウドゥン)」が見えてきます。緑の木々を背景に赤瓦が美しく映える立派な建物で、明治末期から大正初期に増改築されたとのこと。
「屋根のはりが反っています。これは建築技術が高いという証明で、格式高いつくりになっています」と奥濱さんが語るように、海外の使臣たちを迎えておもてなしをするために、建物の美しさにもこだわりがあったのだと伺えます。
高い床は高級木材「チャーギ」を使って通気性良く仕上げ、夏場でもエアコンが不要なくらい涼しいつくりになっているそうですよ。
完璧を求めない、琉球の美学
さて「御殿」に入ると、一番座・ニ番座・三番座・台所・前(メーヌ)一番座など、なんと15部屋もありました。
前一番座は冊封使に一服してもらう休憩場所で、「畳が平行に組まれていて、一般的な畳の組み方とは違います。お互い平行でいこうという意味が込められているんです」という奥濱さんの解説で、今でいうビジネスの重要ポイントだったことが分かります。交渉などが行われていたのでしょうね。
「御殿」から庭の方向を見ると、広い池に浮かぶ「六角堂」が目に入ります。
黒瓦で中国的な雰囲気の佇まいを持つ「六角堂」には二つの石橋がかかっていますが、その一つの橋の形がいびつです。これは、完璧なモノには先がないという例えで敢えていびつにしている、とのこと。
「9分では足りず10分はあふれる、という言葉があります。完璧なものに先はなく、その先について誰も教えてくれません。それを示すためにこの橋は、一つを不完全にしています。完璧じゃない方が良い、という思いが込められているんですね」と橋を見つめながら語った奥濱さん。
奥深い琉球王朝の美学を教えていただきました。
「御殿」の手すりにも、いびつな板が一つ貼られていました。敢えて不完全にしているのは、橋と同じ理由です。当時の人たちの遊び心とも取れるこだわりに、感激しました。
「六角堂は黒瓦で中国的、池は日本的、御殿は赤瓦で琉球的。それぞれの文化を取り入れたつくりから、当時の外交を語る上で大切な場所だったとお分かりいただけると思います」とまとめた奥濱さん。
風光明媚な庭園の中に隠された背景。激動の時代をくぐり抜け、世界遺産として見る者を魅了する特別な庭園「識名園」では、新しい沖縄を発見することができます。
[基本情報]識名園
住所:沖縄県那覇市真地421-7
電話:098-855-5936
営業時間: 4月~9月 9:00~18:00(入場締め切り 17:30)
10月~3月 9:00~17:30(入場締め切り 17:00)
観覧料:大人 400円/小人(中学生以下)200円
定休日:水曜日(休日の場合又は「慰霊の日=6月23日」の時は、その翌日)
駐車場:あり
<公式サイト>https://onl.tw/1esNLrP
執筆協力:Shotaro
撮影・編集:饒波貴子
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