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観光

2019.10.28

世界遺産「今帰仁城跡」でタイムスリップ!歴史を辿るハンタ道&今泊集落めぐり

ハンタ道

沖縄観光でひそかな人気をほこるスポット「城跡」。県内各地に数多くの城跡がありますが、首里城をはじめとする5つの城跡がユネスコの世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として登録されています。

今回は5つの城跡のひとつ、沖縄本島北部に位置する本部半島の「今帰仁城跡(なきじんじょうせき)」周辺で歴史めぐりをしてきました。

「世界遺産 今帰仁城跡」ってどんなところ?歴史は?

今帰仁城跡

沖縄が正式に日本のひとつの県となる前、琉球王国という国だったことは有名ですよね。

さらに琉球王国として統一される前までさかのぼると、沖縄県内各地では有力者が城(沖縄の言葉で「グスク」とよむ)を建てて地域を治めていた時代がありました。この時代は一般的に「グスク時代」(1213世紀ごろ)と呼ばれます。

今帰仁城跡は13世紀ごろに建てられ、その後城主となった怕尼芝(ハニジ)が沖縄北部一帯を治める国の王「北山王」となりました。

今帰仁城跡

北山王が沖縄北部一帯をまとめるようになったのと同時期に、中部には中山、南部には南山と呼ばれる国できました。城(グスク)が乱立していたグスク時代から、沖縄は北山・中山・南山という3つの国が台頭する三山時代に突入したのです。

最終的に今帰仁城跡の北山王は、1416年に中山王の尚巴志に討ち取られました。その後尚巴志は1429年に琉球王国を統一。

最後の北山王となった攀安知(ハンアンチ)は尚巴志に敗れはしたものの、残されている琉球王朝の史書では「武芸絶倫で淫虐無道」とされており、武芸に強い荒くれ者として伝えられています。

景勝地としても大変有名な今帰仁城跡は山の上に建ち、沖縄県内の城のなかでも鉄壁の守りをほこり、敵が攻めてきても簡単には入ることができないだろうと思わせる圧倒的な城。

今帰仁城跡

これだけ見ると、広大な沖縄北部一帯を仕切っていた北山王は戦いを繰り返して北部をまとめ、力で押さえ込んでいたのかなとも思えるのですが、実は研究者のなかでは違う意見もあるようです。

それは「日本史における戦国時代のように、絶えず戦をして陣地を取り合っていたのではなく、実際はもっと友好的な関係があったのではないか」という説。

北山・中山・南山はそれぞれが中国(当時は明国)へ朝貢を行い、日本とも貿易を行っていました。3国の間において戦の負担がありながら、貿易を行っていくのは難しいのでないかというのです。

実際に今帰仁城跡周辺からも中国陶磁器が見つかっており、また中国の史書に琉球国山北王として怕尼芝、珉(ミン)、攀安知の名前が登場します。

今帰仁城のさくら

毎年冬には桜の名所としても多くの観光客が訪れる景勝地である「世界遺産 今帰仁城跡」ののどかな雰囲気にも、確かに戦は似合いません。

最後の北山王となった攀安知が「武芸絶倫で淫虐無道」と書かれていたのは琉球王朝の史書、つまり攀安知を倒した側の書物です。

琉球王国を確固たるものにするため「北山王は強くて打ち倒すのは大変だったが、荒くれ者だったから成敗した」と思わせたかったとも受け取れますよね。

今帰仁城跡についていろいろな説があるのは、詳細な歴史がわかる記録がほとんど残されていないため。

沖縄北部一帯を治めていた大きな城であるにも関わらず、史書や記録が残っていないというのです。

城壁

さて、ここで疑問がわいてきます。

文字として記録が残されていないような状態で、北山王はどのように人々をまとめていたのでしょうか。また武力も強固ではなかったと仮定すると、さらに謎が深まっていきます。

はっきりとしたことがわからないからこそ、おもしろいのが歴史散策。

今回は今帰仁城跡の謎を探るべく、今帰仁城跡案内ガイド「今帰仁グスクを学ぶ会」のガイドさんに、今帰仁城跡へ登る「ハンタ道」と城下にある「今泊集落」を案内していただきました。

今帰仁城跡へ登る「ハンタ道」を行く!

今帰仁城跡案内ガイド小浦さん

ガイド小浦(こうら)さんの案内で「ハンタ道」を下側から登りました。

「ハンタとは崖のことだよ」と小浦さん。険しい道のりが予想されます。

ハンタ道は今帰仁城まで700メートルほど続く登城道。なんと琉球時代に岩盤でつくったような階段や道がほとんどそのまま残されているそうです。

ハンタ道

今帰仁の森の中、昔々から人々が使ってきた道が続きます。

ハンタ道

かなり急な坂道もありますが、足をかける岩盤が上手に利用されていて歩きやすい様に道が作られています。

ハンタ道

道中は豊かな亜熱帯の森がひろがっており、写真スポットとしてもおすすめです。

ハンタ道を登りながらガイドの小浦さんがいろいろと解説してくれました。

ハンタ道

農民集落が城のすぐ周りに広がっているのが沖縄にある城の特徴。

今帰仁城はその典型で、発掘調査で城入り口からすぐには「今帰仁ムラ」、ハンタ道の出口付近には「親泊ムラ」がありました。

1416年今帰仁城の北山王が中山王尚巴志に倒された後は、城には琉球王国から監守が派遣されて常駐するようになりました。

その後1650年に首里城近辺に監守が引き上げ、とうとう今帰仁城は廃城に。

監守が引き上げたことから、城周辺に住まいがある必要がなくなった農民は山の下へ集落をつくり移動したそうです。

これが「今帰仁ムラ」と「親泊ムラ」の1文字ずつをとり、現在の今泊(いまどまり)集落となるのです。

つまり首里城の監守が引き上げてしまい、城のまわりに住んでいた農民が今泊集落へ下りていくまで、わざわざ山の上に住んでいたということになります。

今帰仁城跡

「水にしても耕作地にしても山の下のほうが住みやすいだっただろうが、山の上の城の近くに農民が住んでいたのは、城の主と農民との間になんらかの深いつながりがあっただろう」とガイドの小浦さん。

また「農民が山の下に集落を移したのはいろいろな要素があるだろうが、女(ノロ)たちが山の下に下りたのが大きな理由だろう」と教えてくれました。

「神女」とは地域の神事を司る神職で、代々女性が継いでいく琉球王国時代の公職。ハンタ道を登り切ったあたりで昔、神女が住んでいた場所も案内してもらいました。

1879年琉球王国が沖縄県になる過程のなかでノロ制度は廃止されましたが、なんと今帰仁村には現在も神女が引き継がれており、今泊集落にいらっしゃるそうです。(代理神女)

琉球王国最大の特徴のひとつは、女性による神事を司る組織が大きな力を持っていたこと。各地域にいる琉球王国王府から任命された神女により、国は人々を治めていたことが想像できます。

さらに今帰仁城(北山)には神女のなかでも位の高い今帰仁阿応理屋恵(アオリヤエ)が琉球王国王府より任命されていたそうです。

今帰仁阿応理屋恵火之神の祠

阿応理屋恵は国の行事を各地域で司る役目を受け、首里から任命されていました。琉球王国にとっての今帰仁城の重要性がうかがい知れます。

神女や阿応理屋恵の存在。

女性による神事が重要視され人々の生活や国の運命を占なってきた沖縄・琉球の特別な歴史を、ハンタ道で体感できました。

ガイドの小浦さん

ガイドの小浦さんいわく、「なぜ神事を重要視しているのか。それは農民を管理するということにつながります。農民とはつまり『食べ物をつくる人』。生産性を上げるために神事で休む日をつくり、そして働く日をつくる。メリハリをつけていたということなんです。中国と交易を行っていた上に立つ人間は中国の暦の情報を得ていただろうし、旧暦により農民に『いつ、何をすればよいか』を知らせることもできただろう。これが『国を治める』ということ」。

最初に出てきた「北山王はどのように人々をまとめていたか」という問いの答えに、ここで出会ったように感じました。

今帰仁城跡内の御嶽

神女や阿応理屋恵は琉球王国の王府により設置された公職ですが、実際にはそれ以前から神事を司るような人や神事があったことは想像に難くありません。

今帰仁城跡内にも34の御嶽(沖縄で神様を祀る聖所)があります。

また北山王の時代には中国へ朝貢を行っていたことが確認されており、中国が持っていた暦の智惠も手に入れていたことでしょう。

農民がわざわざ険しい崖の道「ハンタ道」を登った先にある、城に近い場所に住まいを構えたのは、神事や神女による力が大きく影響していたと考えると納得がいきます。

実際に昔のまま残る「ハンタ道」を登り、小浦さんのお話を聞くことで琉球の神様がおだやかに国を治めていた時代を感じることができました。

今帰仁城跡から「今泊集落」へ

フクギ並木

今回ご案内をいただいた小浦さんの今帰仁城跡案内ガイド「今帰仁グスクを学ぶ会」では城外コースとしてハンタ道コースのほか、今泊集落コースもあるそうです。

ハンタ道をご案内いただいた後、さらに今泊集落内も訪れました。

神アサギ

今泊集落内にあり、現在も祭祀を行っている神アサギ

今帰仁ノロ殿内

300400年前、山の上から今泊集落へ移動した今帰仁ノロ殿内

今帰仁ノロ殿内

今帰仁ノロ殿内

誰でも参拝が可能です。

運がよければ神女の方にもお会いすることができます。

琉願の木の揚げパン

今帰仁ノロ殿内前にあるパーラー「琉願の木」にある揚げパンはふわっふわ!散策でお腹が空いたときや休憩の立ち寄りにおすすめです。

白浜(シラバマ)

今泊集落を抜けると白浜(シラバマ)と呼ばれる自然のビーチがひろがります。

美しいフクギ並木と青い海の鮮やかなコントラストが迎えてくれます。

現代につながる沖縄・琉球の歴史を体感できる場所「今帰仁村」

世界遺産 今帰仁城跡にまつわる歴史を歩いて巡ってみましたがいかがでしたでしょうか。

今帰仁城跡内だけではなく、今回訪れたハンタ道や今泊集落も含めた一帯は沖縄のグスク時代・三山時代・琉球王国時代から脈々と続く歴史を今につなげる場所。

当時のまま残されている史跡や、実際に人々の生活のなかで現在も引き継がれている行事も多くあり、当時の空気や歴史の流れを実際に体感することができます。

今回ご案内をしていただいた「今帰仁グスクを学ぶ会」では今帰仁城跡内での無料ガイド(所要約1時間・事前予約時は有料)、城外コースでは有料ガイド(所要約1~2時間・要予約)を行っています。

次の沖縄は今帰仁城跡でタイムスリップの旅へ出かけてみませんか。

 

[基本情報]今帰仁城跡案内ガイド「今帰仁グスクを学ぶ会」
住所:沖縄県国頭郡今帰仁村字今泊5101番地グスク交流センター内
電話:0980-56-4406
営業時間:8:3016:00
定休日:無休(荒天中止)
URLhttp://nakijingusuku.com/

齋藤あかね
この記事を書いた人齋藤 あかね
沖縄北部「やんばる」在住ライター。岡山県出身。那覇の市場近くで9年ほど暮らした後、やんばるへ移動。歴史・アイスコーヒー・帆かけサバニ好き。2頭の犬とたのしく生活しています。 このライターの記事一覧

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